英才教育に必要不可欠な条件はおそらくこの3つでしょう。
1:子どもの優秀さ(能力)
2:熟練した教師役の存在(環境)
3:子ども自身の意識改革
1は説明するまでもないですね。
2の教師役の存在。24時間体制で子どもを教育できる存在が必要です。つきっきりの専門家を雇うか、親が目標とする教養・才能レベル以上のものを身につけ、正しい教授法に従って教育できること。塾や学校にまかせる程度では絶対量が足りません。
最期に3。子どもに英才教育の有効性を信じ込ませること。親自身が英才教育を受けていると望ましいです。
「周りに英才教育を受けた人がだれもおらず、そのメリットも分からない。報酬ももらえず、苦しく、意味があるのか確信が持てない」仕事を、大人だって毎日続けられるでしょうか?
また現在は「勉強なんて社会では役に立たない、意味がない」という考えが蔓延している一方、子どもに勉強を強いるため、彼らはダブルスタンダード(二重基準)に苦しみます。
この矛盾に立ち向かうために必要なのが「他の子どもがやらなくても自分だけはやるべき→自分ならできる」という意識です。
一億総中流意識」の日本では、このある種の「選民思想的スノビズム」に対して憤りを感じる方もいらっしゃるでしょう。
英才教育というのは特権階級の人々のみが子どもに与えられる財産(例えば帝王学のような)であったという側面があります。そして「他の家の子よりも、自分の子どもが優秀であって欲しい」というヒエラルキー意識が根底にあるため、平等主義からはほど遠い位置にあるんですよね。
失敗した場合は英才教育は子どもの精神をずたずたに破壊する「虐待」に変わります。家庭内暴力、非行を招くこともあるのです。大変難しい教育法です。
昨日ご紹介した『父の文章教室』の場合、狂信的な教師役であった父(条件2)と精神的貴族であるべしという洗脳(条件3)によって半分は成功しました。

しかし才能のなさ(花村氏は十分知的レベルの高い人ですが)と父の暴力的制裁によって半分失敗してしまいました。『父の文章教室』は花村氏の子ども時代の苦痛と悲鳴に満ちています。
どういうわけか、私の家に幼児教育関係のダイレクトメールが届くことがあります。やれやれ、「何十万するビデオ教材を買って見せるだけの英才教育」、「週1回教室に通わせるだけの英才教育」……。
このくらいのお手軽さでは深刻な事態を招くことは少ないでしょうが、効果もそれほど期待できないなあ。それでも財布のひもをゆるめる親が多い現実に、親の業(ごう)を感じるのです。
明日は「早期教育」について。【麻理】

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