アダムとイブがあそこにくっつけてる葉っぱは、いったいなぜ落ちないの?

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アダムとイブの葉
アダムとイブを思い浮かべてください。聖書を読んだことのない方でも、彼らがイチジクの葉で恥部を隠していることはご存じのはず。ところでその葉っぱ、どうやってひっついているんでしょう?

普通股の部分に葉っぱを乗せただけだと、歩いただけでハラリと落ちるじゃないですか。足の付け根に挟んでいるの? 樹液か何かで接着してるの? それとも人知を越えた神の力によって落下しないメカニズムになってるの? 絵本の聖書を読んで以来ずっとずっと不思議に思っていました。

やっぱり同じように疑問に思っていた方がいらっしゃったんですね。しかも原典にあたって調べてくださった知的好奇心旺盛な方が。以下ロシア語通訳者として有名な米原万里氏の『パンツの面目ふんどしの沽券』というエッセイから得られた情報です。スパシーバ!

日本製書協会発行の文語訳には「無花果(いちじく)の葉を綴(つづ)りて裳(も)を作れり」、現代語訳では「いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた」と書かれています。この時点で、「葉っぱ1枚」でなく「葉をつなげて作った布状のもの」であることがあっけなく判明。

さらに米原氏はラテン語の聖書にあたってみます。「consuerunt folia ficus et fecerunt sibi perizomata」。folia ficusは「イチジクの葉」、perizomataは「バンド、腰帯、腰巻、パンツ」のこと。また英訳聖書の「葉」は複数形になってます。

なあんだ。未知なる力によってあそこにくっついていた訳じゃないのね。そりゃあ、腰巻やパンツのようなもんだから落ちたりしないわよ。

ネットをあちこちまわってみますと、意外にも名画のアダムとイブは腰巻どころか葉っぱをひっつけてさえいなかったりします。手に葉のついた枝をもっていたり、たまたまそこに生えている木の枝に隠されていたり、不自然な位置に立っていたり。なんで名画の巨匠達は聖書の記述通りに描かなかったんでしょう?

『ゼロ』の主人公・ゼロのようにルーベンスになりきって考えてみました。ギン。「やっぱねえ、腰巻きよりも葉っぱの方が絵的にイケてるよね。アダムはともかくイブは絶対その方がセクシーだって。でも落ちちゃうしなあ。ま、いっか。テキトーに隠しとこ」……以上妄想ですが、画家も聖書の記述よりも美的センスを優先させたんじゃないでしょうか。

『パンツの面目ふんどしの沽券』ではそこまでは解明していないので、また新たな疑問が。でもいつかこの謎の答えにも出会えるのかもしれません。【麻理】

思わず人に話したくなる、驚愕の事実が満載。翻訳者、通訳者としても一流だけど、エッセイストとしても一流だ。
ゼロの超人的な偽造技術にちょっと引き気味。でも勉強になるよ。

今日のサイト

執事といえば名前はセバスチャン、というイメージがあるのですが.. – 人力検索はてな

これも不思議だった一つ。なるほどね。

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