ロボットは友だち・映画『アンドリュー NDR114』を見ました


先日テレビで『アンドリュー NDR114(1999)』を見ました。ロビン・ウィリアムズ主演。面白い映画でしたが、今ひとつ日本で受けなかった理由が分かる気がしました。日本人のロボット観について。

マーティン一家にやってきた家事全般ロボット”NDR114″。メタリックなボディを持つ彼はアンドリューと名付けられ、末娘のリトル・ミスの子守することになります。偶然の産物か感情の芽生えたアンドリューは、老いることもなくマーティン家の人々を見つめつづけます。そして自分探しの旅に出るのです。

印象的なシーン。アンドリューがロボット会社に乗り込み、自分の感情を上手く表現できるような皮膚や顔のパーツが欲しいと社長に訴えます。しかし社長は「ロボットが人間のような外観を持つのは消費者に受けが悪いんでね……」と言葉を濁すのです。

この世界ではアンドリューと友人のように心を通わせるリトル・ミスは変わり者。ほとんどの人はロボットを単なる使役の機械と思っています。

これ日本ではちょっと考えられないですね。日本の作品ではそういうスタンスでロボットを扱う登場人物はあまりいません。『ドラえもん』にしても「ロボットが友だちなんて当然でしょ。何当たり前のこと行ってんの?」という感じで、ドラえもんは普通に(普通すぎるほどに)生活にとけ込んでいます。

ロボット工学の研究者・松原仁氏は『鉄腕アトムは実現できるか?』の中で、日本人がロボットに対していいイメージを持っている理由に、『鉄腕アトム』『ガンダム』などロボットアニメが生み出されてきたこと、キリスト教的なタブー(人間を作れるのは神だけ)がないこと、ロボット研究は比較的予算が取りやすいことなどを挙げています。

もちろんそれもありますが、日本人はとりわけ人に似たモノを愛する才能があるからではないでしょうか。鉄腕アトム以前にも日本では、学天則(がくてんそく)生き人形やからくり人形が人気を博しました。

【ロボット2 】明治時代のロボット「学天則」に込められた願い
人造人間は科学と芸術の交流によつて成り出ねばならない(『大地のはらわた』西村真琴 より)
【ドールズ】江戸が生んだ天才人形師・松本喜三郎とマリアの出会い
優しい顔はあくまでも白くふっくらとしている。いや、顔ばかりか胸元あたりにゆったりと上げた左腕も柔らかく、押せば凹みそうな感触だ。指にはもちろん爪もある。とうてい木造とは見えない。(『ドールズ 闇から来た少女』高橋克彦 より)

古来から日本には万物に神が宿るという八百万の神という信仰があります。人に似たロボットが魂を持ったとしても日本人にとっては脅威ではないのです。

反日デモや日本製品の不買運動のニュースで、日本車が火をつけられ、日本製電化製品がボコボコに壊されている映像を見ることがあります。私は胸がつぶれそうな思いがします。

あの人たちはメイドインジャパンのヒューマノイド型ロボットにも同じ事をするのだろうか──と。あの人たちは「マシンにも魂が宿る」なんて夢にも思わないのだろうな──と。

未来の日本は、人間とロボットが自然に共存するロボットたちのユートピアになるでしょう。受難に涙するロボットたちよ、乳と蜜の流れる約束の地、ニッポンを目指せ! おっとロボットだから「乳」より「オイル」の方がいいかな。【麻理】

とてもいいお話だが、このボディはだめだ。全く萌え要素がない。日本のメーカなら絶対にダメ出しが出るようなデザイン。私としてはヒューマノイド型美青年ロボットを望む。
ロボット工学と人工知能研究の融合を訴える松原博士に共感した。フレーム問題についてもやさしく解説されているのでできれば興味のある中高生に読んで欲しい。

今日のサイト

I Robot Now(※リンク切れ)

ウィル・スミス主演の『アイ、ロボット』のNS-5の(架空)メーカサイト。だからあ! 性能はもういいから、もっと萌えるロボット作って欲しいのよ!

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