さて続きです。昨日はゴミの選別とモノの値段について書きました。でもモノは値段が全てではないですね。思い出の品というのは値段だけでははかれないし、なかなか捨てることができません。

たとえば昔、ワタクシが愛したあまたの男性からいただいたラブレターや贈り物の数々とか。
……申し訳ありません。ワタクシ見栄を張っておりました。
それはともかく、子どもの頃大切にしていたオモチャとか、旅行に行った時の記念のおみやげとか、親御さんの場合だとお子さんの図画工作だとか、そういう思い入れのあるものはどうするかですよ。
これこそ文明の利器、パソコンとデジカメの出番。私は写真を撮ってパソコンやメディアに保存しています。画像データにしておいた方が、簡単に見ることができるので、押入にしまい込んで存在を忘れてしまうよりもよほど「思い出」になりますよ。
写真に撮った後でも、大切な人にもらったモノや長年愛用してきたモノなどをゴミ袋に入れるのはやっぱり心が痛みます。昔は庭で燃やすという方法がありました。思い出のモノを火にくべて炎を見つめていると、心の整頓ができて、モノも成仏したような気がするんですよね。
でも今は環境問題、住宅事情があって自宅で燃やすのは難しいです。その場合、捨てるときに「今までありがとう」と手を合わせるだけでも、心の痛みが軽くなりますよ。画像データを見て時々思い出せば、きっとモノも許してくれるでしょう。
モノをデータ化しておくと別の良い点があります。それは私が「心配していること」が一つ減るんです。「心配していること」とは、私に万が一のことがあって、死後に親族が私物を整理する際に手紙や日記、写真などプライベートなものを見られてしまうのではということ。
まあそんなに大それたことをしている訳ではありませんが、やっぱりいくら家族といえども恥ずかしいじゃないですか。死んでも死にきれない。
でも今は手紙などもスキャンして画像データにしてあるし、写真や日記もパソコン内にあります。パソコンは私以外使えないようになってるので安心。これでいつ不慮の死が訪れても大丈夫♪
いや、ちょっと待て。不慮の死は勘弁。
デジタルデータ化しておけばモノも減って身軽になるし一石二鳥。パソコン・デジカメ活用法、ぜひお試しあれ。【麻理】
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私も仕事柄、フォント当ては得意だ。加工画像に使われているフォトショップのフィルタを当てる方がさらに得意。